あらた工房とは


 あらた工房とは、着物染色家、佐藤節子が運営する東京手描友禅の着物工房です。東京都中野区に所在しております。
 今まで70年近くにわたり、独自の創作姿勢で工房のオリジナル作品を世の中に発表し続けてきました。
 工房では生地などの素材選びから始まり、図柄を決め、彩色、染め上げて製品にするまでを一貫して行います。それらの工程を、数名のスタッフと共に仕上げていきます。
 作品は一点一点全てが手作業によるもので、大量生産に向かず決して効率の良い作業ではありませんが、私たちは伝統と誇りを持って日本の民族衣装である着物製作に携わっております。

染色風景


製品は大きく分けて2つの目的で創られます。

 まず第一に、工房独自の視点でデザインされた新作発表のための製品です。これは工房が本当に創りたい着物や帯を四季ごとに、季節に先がけて染める作品となります。
 日本の風土に培われた素材や図柄をふまえた最新作を、四季の作品展示会を通し発表していくことにしております。

 そして第二は、お客様一人一人のニーズに合わせた注文製作です。これは服で言うところのオートクチュールと同じ考えです。着物の形は皆同じでも、着用目的、着手の方のライフスタイル、体型などが違うので柄の構図やデザインも変えなくてはなりません。そして色を決めることも大事な要素となります。つまり、お客様自身が始めから自分だけの為に創る着物を一緒に考えます。



ゴムのり引染彩色 染色彩色作業HP管理

彩色作業
ロウケツ




工房と呉服店は何が違うの?


 呉服店とは織物や反物類を問屋から仕入れて商うお店のこと。そして問屋は工房から商品を仕入れます。

工房など染元元卸問屋前売り問屋呉服店や百貨店など小売店消費者

 工房は言って見ればメーカーです。私たちは着物を実際に制作している職人の集まりです。ご自身がお召しになる着物がどのような人の手によって創られているのかご興味をお持ちになった事はありますでしょうか?
 一昔前なら製作をしている工房とお客様が直接繋がる事は難しい事でした。これはインターネットの普及による所が大きいです。お客様と創り手、双方に顔が見えるということに大きなメリットがあります。
 工房にとっては、お客様の声を直接聞く事で細かい要望にお答えする事ができ、同時に作品のこだわりや情熱をお伝えする事ができます。お客様にとっては安心な製品をご納得の上で、また流通前の製品を工房ならではのお求めやすい価格にてご購入頂けるというメリットがあります。
 工房で生まれた作品は我が子同然と考えております。お渡し後のお手入れや、しみ抜き、その後の染め替えなど責任を持ってサポート出来るところも工房の強みです。








作品展示風景




豊富な品揃え、個性あるデザイン、満足度の高いクオリティ。


 工房では、一年を通し四季に先駆ける新作はもとより、個性ある作品が次々と出来上がって参ります。製品は全てが1点もので、いつの時代でも新しさを持って受けいられるよう心がけております。万人向きの柄や色に物足りなさを感じた場合はぜひ一度工房の作品をご覧下さい。
 季節にそった作品の種類も豊富で、どれも白生地から吟味し上質な素材を使用しますので、度々染め変える事も可能です。製品のクオリティにはかなりの自信を持っております。特に着物通のお客様には産まれたての作品をぜひお手に取って確かめて頂きたく思います。



オーダーメイドの愉しみ。


 オーダーメイドは決して敷居の高いものではありません。皆様、驚かれますが、工房から直接お求め頂くので、お好みで生地を変えてみたり、デザインや地色の変更で別誂えをした場合でも既存の作品と価格帯が何ら変わらないのも大きな魅力の一つです。「例えばこの柄で色違いが見てみたい」など、ご要望があれば1からでもお創りいたします。過去にサイトや雑誌などで発表した作品は、オーダー頂ければいつでも再現する事が可能です。

図案


着手の想いを叶え、創り手の想いを伝える。


 どんな些細なご相談であっても、ご訪問の際には完全予約制をとっており、広いスペースで、ゆっくり時間をかけてお話を伺える環境に配慮しております。着物を広げてじっくりと作品を選べる環境は必要です。
 着手であるお客様と着物との出会いをまず第一に考え、柄や素材、着る場面でのコーディネートなど分かりやすくご説明し、より満足度の高い優れた作品をお客様と共に創り上げていく事が私たちの喜びでもあります。
 出来ましたら、お気軽に工房へ直接いらして作品を手に取って見て頂ける事が望ましいのですが(ご上京の折に全国各地からお見えになられるお客様も多くいらっしゃいます。)ご遠方のお客様でも出来る限り誠意ある対応を取らせて頂きます。





作品展示室
あらた工房内 作品展示室

ギャラリースペース
ムカシアルバム ギャラリースペース

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 2012年のリニューアルで展示室を拡充し、さらに広くご覧頂きやすくなりました。


古い着物を再生するドクター。


 着物は染物も織物も手作りの物がほとんどです。もちろん、長い間には色あせたり、生地が弱くなったりしているものもあります。お祖母様やお母様の着物や帯が長いことタンスに眠ってはいませんか?
 工房ではこのようなアンティークな着物たちに、ぜひまた現代の風を当てたいと、そんな想いから相談にのれるような機会を多く設けるようにしています。
 見事に再生できる素材もタンスに埋もれているのです。着物に興味を持ち始めた方にとっては、宝物のような着物も見つかります。その着物に縁のある方に是非もう一度袖を通してもらいたいと切に思います。昔の染めや織り柄などは今にはない色調で格調高く捨てがたいものばかりです。現在ではすでに作ることが出来ないものも沢山あります。

 工房は今まで新作ばかりを制作して参りましたが、次の世代の人々が古い着物を見つけ処分に困り、相談されることが多くなるにつれ、私達の力で着物たちに恩返しが出来ればと思うようになりました。工房は古い着物を再生するドクターでもあり、着物を直す事は最も得意としているところです。

 でもこれは一人の力では成り立ちません。多くの経験を積んだ職人さんの力と技術が必要です。専門技術を持っている人たちがいるかぎり、古い着物を再生し蘇らせる活動を行って参ります。古い着物の再生にお困りでしたらぜひ一度、工房にご相談下さい。






大島紬
2枚の古い大島紬を使って1枚に再生


アンティーク丸帯
90年ほど前の絽の丸帯

あらた工房の歴史です。興味をお持ち下さった方はこちらもご覧下さい。



昭和41年 あらた工房昭和41年21歳。工房に入り間もない頃。雑誌の取材記事より あらた工房の歴史について述べてみましょう。

 もう、70年近くも前にさかのぼりますが、終戦後間もなく、私の父である腰原新一が染色の仕事をはじめ、着物工房を興しました。昭和38年に急逝するまでは数多くの内弟子をかかえ、仕事をしておりました。
 昭和30年代に入ると、世の中も大分落ち着きを取り戻し、人々はお洒落をするゆとりが生まれました。
 戦争ですべてを失くした反動からでしょうか。オリンピック景気も手伝って、次々と着物は売れて、一般の女性たちもよく着物を着ました。今思うと着物にとって、一番よい時代だったのかもしれません。
 父の亡き後、当時、美大に通っていた私は19歳で工房をそのまま引き継ぐことになりました。門前の小僧でしかなかった当時の私は、色々な人に支えられ、仕事をしながら仕事を覚える日々でした。

昭和54年 会社設立の頃 昭和54年 会社設立の頃 そして、現在の工房のかたちが整い昭和52年には「株式会社あらた」を設立し、父が最後に根を下ろした東京中野の地に工房を続けて現在に至っております。私の弟である腰原淳策もまた父と同じ染色家としての道を歩み、現在は青梅の地に着物工房を開いております。
 時代の変化に合わせて、着物も色々とその位置を変えていきました。普段の生活でごく自然に着られた時代から、主に社交着としての役割として着られたり、趣味性の高いものとして存在したりしました。
 現代では個々のライフスタイルの中で楽しんだり、変身するための衣装としての役割であったりと様々です。着物は衣食住の一つですから、人々の暮らし方 や、考え方、価値観が大きく変わっていく中、昔程ではないにしても何とか留まっています。
 あらた工房も時代の流れから外れないよう、これからも歩み続けて行きます。

 その他、工房では四季折々の新作発表や楽しい季節の行事、着物で遊ぶ「瑠璃の会」の企画や、古い着物の相談会「今昔の会」なども催しております。着物振興の為に着物文化を残す活動をスタッフ一同で取り組んでおります。着物好きな皆様に、いつかお目にかかれますように、工房にて心よりお待ちしております。